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 命のがっこうのご報告

タナダからの手紙 No.7 2006/2/14



1/21−22は予定通り命のがっこうを開催しました。

前半は合鴨鍋を作ります。合鴨は隣の芦北町上木場地区で入手しました。鶏インフルエンザが心配で冬まで飼う人が減っているのですが、助かりました。

最初に、竹熊医師を思い出しながら、私が少し話をしました。「生き物を自分の手で殺して食べたことはありますか?」と尋ねると、半分くらいは「ある」という答えではなかったでしょうか。生きている魚を料理する経験は、それほど珍しくはないようですね。でも、鳥の場合はかなり減って、ほ乳類を自分で殺して食べたことのある人はほぼゼロです。植物の場合は結構経験も多いようです。どちらも命に変わりはないのですが、人間は植物を殺してもそれほど心理的に動揺はしませんね。ともかく、人間は毎日膨大な数の命を殺さないと生きていけないという事実を意識しましょうね、ということです。

さて、合鴨の解体は、地元の農家Fさんを講師に招きました。合鴨農法に取り組む農家でもあります。合鴨の首に刃を入れる役は、CさんとIさんが買って出ましたが、お一人は断念。やはり、何の怨みもない鳥を殺すことは全然楽しくはありません。しかし、今回は全員目を背けることもなく、しっかりと刃の入れ方を見ていました。

血が出て死んだ後は、お湯につけて羽根をむしります。細かい毛までむしらないと、食べた時に舌触りが悪くなります。その後、室内へ移って解体。内臓を出して、腕と足を外して、肉を取って行きます。内臓を出したあたりで完全に肉に見えてきました。

解体が一段落してKさんの畑に野菜を取りに行きました。白菜を鎌で切るのも合鴨の首を切るのも同じ意味のある行為ですが、気持ちは全然違います。やはり人間は植物を差別しているのかもしれません。次に、うどんを打ちます。講師はKさん。ニシノカオリの自家製全粒粉に塩水を入れて、こねて熟成させます。それからこんにゃく作りに移り、ゆでた芋とあくを混ぜてミキサーで壊し、形を作って茹でます。講師はYさん。茹でるのは1時間かかるので、その間に豆腐作り。Nさんに教わり、今回は大きい豆腐を9丁作りました。

一通り終わり、ようやく鍋になったのは7時近くでした。杉本さんのいりこの出汁に自家製の味噌を溶いて、合鴨(肉と卵巣・心臓・肝臓・砂ずり)・うどん・豆腐・こんにゃく・白菜・にんじん・大根・椎茸(近所のSさんに頂いた)を入れる鍋です。口に入るまでの過程が全部わかっているものばかりのぜいたくな食事となりました。

例によってビールはエビス、焼酎は亀五郎です。でも、亀五郎の味がちょっと変わった気がしました。「海洋深層水を仕込み水に使用」のせいなのでしょうか。。。

翌日は、吉井前市長のお話。相変わらず深かったです。前日、自らの手で合鴨の命を絶った後だけに、数多く失われた命の重みを話の中からも十分に感じられました。昭和32年には、水俣湾の貝類を猫に食べさせたら水俣病になった実験がされているのですから、その辺で「原因は特定できていないが、魚介類の捕獲と流通禁止」という措置を取るべきであったと私は思いました。

また、論理的に法律に基づいた解決ができない現状は、政治家が判断して新しい制度を作るしかないということ(吉井さんがこの通りの言葉を使ったわけではなくて、私なりのまとめです)も、その通りと思いました。95年の政治決着は、万人が100%満足するような内容ではなかったけれども、あれで精一杯だったとも思いました。

参加者の皆さんから、何人か感想が届いています。ちょっと長くなりますが、いくつかご紹介しますね。

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参加者Aさん

愛林館の主催するセミナーに参加してきました。研修の内容は大体3つに分かれていて、生きていくために他の生き物の命をいただくという意味を考える主催者の講話とそれを実際に体験すること。そして前水俣市長の吉井正澄さんの講話。

沢畑氏は、とてもすごい内容を淡々と話すのです。「生きている物を自分で殺したことある?」という問いから、「動物は生き物を殺して生きていく」「殺す回数と食べる回数のバランスが悪い」そして「食べ物を粗末にすることは命を粗末にするということ」。

合鴨の命をいただく、合鴨の屠殺なんですが、これは出来れば、是非させていただこうと思っていました。当日の夜の食事のために2羽の合鴨を肉にするのです。

ス-パーにはパック詰めはいくらでも売っていますが、その前はどんな作業があったのでしょう。自分の食べるものを得るために、人の手ではなくそれを自分の手でするというものです。指導者の方に教わり、両足で羽と尻尾を押さえ、くちばしを左手でしっかりつかみ、右手でクビの付け根に包丁を思い切って入れます。

ちょっと表現できないのですが「生きているものの命を絶つ」ということを自分の両手で感じました。合鴨の対しては「ごめんね、今までがんばって生きてきたのにね」という気持ちでいっぱい。自然と涙はこぼれますが、その後の作業は整然と進みます。
お湯につけて毛をむしり、解体します。体験できて本当に良かったと思っています。

解体は、関節のところに刃を入れるのが難しかったのですが、もう一回丸鶏を買って自分でやってみようと思います。

うどん・こんにゃく・豆腐作りは、近くの女性の方々に教えていただくのですが、まぁおばちゃんたちの楽しいこと、キラキラしていること、そして素朴だけど人間の品がある、教えるのも上手!!「教えてる私たちも楽しいのよーっ」って全身から溢れてるんです。

豆腐を帰ってから一丁分の型で作ってみました。失敗しました!!温度が低かったのかも。大豆もにがりもありますから、また作ります。

夕食は合鴨・野菜・豆腐・味噌ほとんど出所がわかっている、しかも地元、というなんとも贅沢なご馳走でした。参加者は福岡・熊本・岡山・さいたま・水俣・鹿児島・全部で12名。自己紹介を聞くのも面白い・・・全体として若い女性と60歳以降の男性が多いのかなぁ。

朝は夕べのうどんと、がらスープがあったので、しょうゆ味のうどん汁を作って食べてもらいました。だしが美味しくて(素材がいいんでしょうが、ちょっと自慢したいほどうまかった)手打ちのうどんにあってました。合鴨の油も少し入れて。

次の日は吉井正澄さんの講話。水俣病資料館で94年の慰霊祭での市長としての謝罪文を読んで感激していたので、本当に楽しみにしていました。水俣病の発生から一昨年の関西訴訟最高裁判決、最近の新保健手帳の申請、そして「もやい直し」「水俣の環境都市への取り組み」を何とか頭にいれお話を伺いました。

印象に残っているのは94年の政治解決の際の「水俣病のこの40年間は矛盾と不条理の40年間だった。ここにいたって万人が納得する理路整然といた解決策は望めない」という心境から「世代を超えた禍福の相殺」にいたるまで。

そして、水俣病の対立の中で生まれた多様な価値観を認め合い、自分と異なった意見や倫理に耳を傾け、対話を進め共通の価値観を創造するという「もやい直し」の理念。

今生きている地域と逃げずにしっかり向かい合い、ここで生きるんだと確認しあい地域を共有すること・・・目指すものは同じなんですね。
吉井さんは質問に対する答えもすごく的確だし、すごい人でした。

セミナー終了後もちょっと居残りして、むらまるごと生活博物館の女性の方々(霧島食の文化祭にも来ていただきました)と甘酒まんじゅうつくりを、ご一緒させていただき楽しかった。レシピは「盗んでいいよー!!」って言うことでした。霧島でもアレンジしてやってみましょう。

こんなありがたい・もったいないほどの研修、これからの自分に活かさないといけないと想っています。そしてとても楽しかったです。本当にありがとうございました。

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参加者Bさん

愛林館での命の学校、非常に新鮮で良い経験になりました!
ありがとうございました。

あまりにも、正しい本来の生活のかたち、と言うか、理想的な地域のかたち、を目の当たりにしたようで、半分はショックも受けました。環境の話などになると、眉間にしわの寄るような感じになりがちで、日本の都市の方で暮らしていると、私たち一般大衆は「もう地球も時間の問題だね〜」なんて悲しい雰囲気が漂ってしまいます。と、言いつつも「田舎で暮らそう」?や「鉄腕DASH」のDASH村などのテレビに喰いついて見入ってる人も少なくありません。(あくまで自分達とは関係の無いテレビの世界としてですが)

ほとんどの人が、どうにかしたいけど、どうして良いか分からない!本当は何が正しいのか良く分からない。と、思春期の学生みたいな思考状態に陥っているような気がします。しかもチョト大人なので、「ヨシ!見なかった事にしよう!知らなかったことにしよう!」みたいな伝家の宝刀をよく抜いてしまいます。まるで武部幹事長みたいです。

そんな訳で、自分も恥ずかしながらネガティブ側の思考を持った人間だったので、実際に愛林館や水俣の方々を観てみてショックを受けた訳でございます。もちろん、相当な苦労があるのは、素人ながらに感じ取ることは出来ますが、とにかく実践なさっている事に驚きました。驚きを表現すると「うわー!人間がいた!!」という感じでした。(よく解からないですね)

命の学校が終わった後に、OさんとHくんの梅園で一泊させて貰い梅園での作業を手伝わせて貰いました。(明らかな足手まといでしたが)これも人の情と言う物を感じた貴重な経験でした。

前市長の吉井さんの話は、日本人として聴けて本当によかったです。あと東京出身?の奥さんと熊本に来て一緒に暮らしている館長の生き様は、かなりイケててファンになりました。

人のと地球の心配をしていて、自分が一番不安定な場所にいることを今思い出しましたので、「森と棚田で考えた」で勉強に戻ろうと思います。

本当に良い経験で楽しかったです。皆様にもお伝えくださいませ。